遠山氏一族のおもてさま
遠山の霜月祭の一つの特色は、戦国時代から江戸時代の初期にわたり、この地方をおさめて
いた遠山氏一族と深いかかわり合いがあることです。
遠山氏は、いまから三百六十九年前(元和三年)に、ほろびてしまいましたが、神にまつら
れた一族は、おもてさまとして、霜月祭には姿をみせます。
おもてさまのなかには、和田城の殿さま三代をはじめ、一族がふくまれていますが、それに
ついて少しのべてみたいと思います。
木沢の八幡神社のおもてさまに、おやしろさまと呼ぶ神さまがあります。
これが初代の殿さま、遠江守景広(とうとうみのかみかげひろ)です。
おもてさまのうら書きには、元和八年霜月十日とありますが、奉納した人は、当時の庄屋、
大家孫助だとされております。
年代を思わせる古面ですが、ややうれいをおびたお顔が、心にのこります。
第二代の殿さまは、土佐守景直ですが、家康の命により、大阪冬の陣、夏の陣にも参戦し、
手がらをたてました。しかし和田城に帰って間もなく亡くなりました。
土佐守が死んだあとは、長子の加兵衛景重が三代目の殿さまになりました。
しかしこの殿さまは、からだが弱く、父、土佐守のあと追うように、元和三年に死亡しました。
この二人のおもてさまは、遠山両大神、源王大神、正王大神などと呼ばれています。
そのほか、一の宮、二の宮、若殿さまなどと呼ぶおもてさまは、殿さまの奥方、家臣等です。
ところで遠山の霜月祭は、元和年間にあわれな最後をとげた遠山の殿さまや、一族のみたまを
しずめるお祭りだとよくいわれますが、いずれにしても神さまとして遠山氏は、村人のなかに
いまも生き続けているのです。
盗まれたおもてさま